ゴー宣DOJO

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切通理作
2012.2.19 06:19

3.11直後の自分たちを再検証

 次の第23回ゴー宣道場はなんと3月11日、昨年の東日本大震災からちょうど一年目の日に開催されます。

 題して「3.11以後、発狂した政治・言論を撃て!」。

 


 小林よしのり代表師範から「東北の現状はどうなっているのか?」「放射能汚染された福島の子供たちの生活を放置しておいていいのか?」「原発は再稼働させるべきか、全部止めてしまえるか?」という問題とともに、「原発事故直後の政府の対応、国民の対応は、あれで良かったのか?」ということが提起されています。

 

 そして「ゴー宣道場の対応としては、あれで良かったのか?」「再びの事故の場合はどう行動すべきなのか?」が問われています。

 

 私も、昨年の3.11以後の、自分を含めたゴー宣道場での発言や態度を当日までに振り返ってみようと思います。

 

 そこでまず最初に、ゴー宣道場の動画でいまでも見られる、昨年の3月13日に収録された『道場生のいないゴー宣道場』を再視聴いたしました。

 

 3.11のわずか二日後に、その日行われるはずだった第12回道場を小林さんの判断で中止し、会場の控え室で師範だけが集まって話をしたものです。

 

 動画を通してあの日と再会して、わずか一年前のことでも「あの時そういえばこう考えていたな」「こういう実感があったな」と思いだすところがいっぱいありました。

 

昨年の3月11日には関東でも震度5強の揺れがあり、小林さんはじめ皆関東に住む師範たちもそれに遭遇しました。『道場生のいない道場』はその実感の携えての師範同士の再会です。まだ小林さんも東北の取材に赴く前であり、師範の誰もが被災地のことは報道でしかわからなかった段階です。
 


 
 
 

3月11日当日、東京でも携帯電話はなかなか通じず、メールも普段通り機能しませんでした。その中で、Twitterだけがなぜかクジラ(メンテナンスやアクセスオーバーでダウンした時に出るメッセージの際の絵柄)も出ず、その中で人々の緊急時のやり取りを私は目の当たりにしました。

その話題も『道場生のいない道場』では出されています。

 

Twitterが携帯やメールよりも強かったということは、今年1月の第21回ゴー宣道場「ソーシャルメディアの罠」の時にゲストのジャーナリスト・佐々木俊尚さんも言及されていましたが、ソーシャルメディアについて「時間のある人が暇つぶしにやるもの」という人々のそれまでの認識が変わったきっかけでもありました。

 

また3.11当日の昼は揺れのあとも、東京に住む私の周りはエアポケットの時間で、まだそこまで大きなことになっているとは気づかず、街も平穏でした。

そして、人々の帰宅時が近づいてもう一回深刻さが増しました。帰宅難民となって夜通し歩いた人も、このブログの読者にはいらっしゃるのではないでしょうか。タクシーにも長蛇の列が並び、暴動や抜けがけ一つ起こさぬ日本人の秩序感覚についても世間で話題になりましたね。

 

東京に住む自分にとって地震直後の時点の実感として、「電車がなければタクシーに乗ればいい」「電話が通じなければメールすればいい」といったような、抜け道ツールはないんだ……というのが「非常時」なのだなということがありました。

エネルギーも含め、全部バランスの上に成り立っていて、キャパオーバーしたら機能出来なくなる。

わずか二日間の間にも、お互いに電力を抑えようというような「公共心」を、みんなが学んだのではないか……という僕の発言も収録されています。

 

いまの自分には、たとえば「原発がなければ電力がまかなえない」という言い方それ自体が操作された情報の上に立っているかもしれないという警戒は芽生えています。

 

しかし3月13日時点の正直な実感として、普段は個人主義で生きている日本人の中に、「社会全体のバランス」という観念が自然に生まれたということを、僕は言葉にして再確したかったのだと思います。

それは、まだ震災の全貌もわからず、いま以上にどう考えていいか模索中の時期に、一筋の光明だったのかもしれません。 

 

 堀辺師範からは、社会全体のバランスという意味では、「脱近代」というテーマに立脚し、たとえば東京という場所もビルディングと農村を分離させない都市計画というものを、国防の観点からも考えるきっかけになるのではないかという提案がなされています。

 

 これは後に小林さんが口にされるようになる、原発は国防上からも危険なのではないかという認識に通じるところがあると思います。

 

 堀辺さんは、国民がどう自分の問題として、選挙の時だけでなく、政治を考えたらいいのか、地震列島日本に住むものとしてのきっかけになったのではないかと発言されています。

 

 

 しかしこの時点において、原発のことまでを話題にするのは「話が大きすぎる」と小林さんは皆を制しています。いきなり高見に立って天下国家を論じる前に、もっと実生活の側から見つめられるものがあるのではないかと促します。

 

 ここで日本人の「諦観」というものが指摘されます。

これがあるから、必要以上にジタバタしないのではないか。

いざとなったら、死んでしまうかもしれない。そんな諦観を織り込み、お互いわかった上で出来ることする。

そんな話題の中で、僕は自分と自分の家族の間にも、そんな言葉にしていない領域があったと気づかされました。

 

わずか二日間の間に、買いだめをすることへの戒めがネット上で拡散し、原発事故に関しても「公式発表があるまで待とうよ」という同時多発的な冷静な呼びかけが機能したことも、話題に出されています。

 

この「買いだめ」ということに関しては、単純に災害時の心理的不安によるものと、「放射能への恐怖」という問題が重なっていたと思いますが、当時はまだ後者のことはいまほど大きく話題になっておらず、むしろ震災後に大きくなっていった話題です。

 

そして政府の発表をとりあえず信頼して……ということについては、後になって、この時点での首相を含め対応が色々わかってくるとともに批判や信頼の失墜が起きてくるのですが、まだこの時点では「なにもわからない内にヒステリックになってもしょうがない」という感覚でした。

 

 政府の対応についても、この時点で目に見えている部分について言えば、阪神淡路大震災の時の村山政権よりはだいぶましなのではないかという認識がありました。高森さんも、首相の現地視察はパフォーマンスではないかとしながらも、枝野長官は事故以後の会見の態度には「公」のスイッチが入っており以前と違う感じがするとおっしゃっています。

 

ただ小林さんは、政治も客観的なことがわからないと言っているが、ヘリコプターで見ればわかるはずなのに、そう言っているのは「なにかある」と、非常に鋭い指摘をされています。

 

 関東の人々の多くは、震災の翌日からこれまで通り職場に出勤しています。

外から一般の人を呼ぶような公のイベント関係は、ゴー宣道場で小林さんが中止を決断されたのにまるで続くように、次々と中止が告知されていきましたが、それぞれの組織内においては、そして人々の日常においては「普通の生活をしなきゃならない」という修復力がまず発揮されました。

 

震災からわずか二日後のこの日においても「経済活動をいままで通りに行うことが復興につながる」ということが早くも言及されています。

 

 小林さんは、日本人にはまだまだ公共心があると再確認出来たと述べ、高森さんは、公の秩序の維持が実感できるのは、天皇陛下につながる自分の存在が普段意識してなくても、しっかり根付いているからだとし、堀辺さんは、もし日本が共和制になった時に失うものが大きいと語られています。

 

 自然災害そのものには善悪は関係なく、震災は自然に対するおそれを呼び覚まし、みんなの中にある公共心の再発見を促した。

 

 それが『道場生のいないゴー宣道場』で確認し合ったことだと思います。

 

 この後半の「日本にはパトリがある」という部分ですが、堀辺さんは「いま現在は残っているが、将来いつまで維持できるのか、自覚的に考えなければならない」とおっしゃっています。

 

 それこそがTPPや皇統問題で国体が破壊されようとしているいま、問われるところですし、震災に追い打ちをかけるように日本がガラガラと崩れていってしまうのか、天皇陛下とともに地震国・日本に生きてきた我々の姿を見つめ、そこから再生するきっかけになり得るのか。

 

 継続して考えていきたいと思います!

「3.11以後、発狂した政治・言論を撃て!」

 

平成24年3月11日(日)午後1時 から
『人事労務会館』 にて開催します。

参加希望の方は、どしどしご応募下さい絵文字:重要

入場料は1000円。

参加希望の方は 往復はがき に、 『第23回参加希望』 と明記、

さらに、


1.
氏名(同伴者がいる場合はその方の氏名と続柄・関係など)

2. 住所

3. 電話番号
4. 年齢
5.
職業(学生の方は学校名)
6.
募集を知った媒体
7.
応募の理由と道場への期待

返信はがきの宛名には、ご自分の氏名・住所をご記入の上、

152-8799

東京都目黒区目黒本町1-15-16 目黒郵便局・局留め

『ゴー宣道場』代表・小林よしのり、担当・岸端


まで、お送り下さい。

締め切りは、平成24年2/29(水)必着


当選された方にのみ、返信はがきを送付致します。


切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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